皆川マス (ミナカワスマ)

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住所 栃木県真岡市

1874~1960年(明治7~昭和35)真岡市西田井生まれ。10歳の時、益子町皆川伝次郎の養女となる。鳥羽絵師の父に土瓶の山水絵付を約5年間習う。15歳の時より、絵付職人として働く。1日約500から700個を、又簡単な模様絵付は1200個行うのが仕事であった。益子土瓶は1887年(明治20)頃が最盛期で関東一円の小学校の昼食時には、教室でお茶用土瓶として使用された。浜田庄司も小学校時代見なれたもので、東京高工(東京工大)の窯業科の恩師板谷波山の処で、これを見て先生から始めて益子焼であることを知らされた。浜田が益子の地名を聞いたのは、これが始めてであったのもおもしろい。後に浜田が益子に住み、皆川マスの絵付した土瓶を柳宗悦らと共にその美しさと確かな職人芸を高く評価した。世の人々も始めて日用品のこの土瓶をすばらしい民芸品として再認識した。
彼女の絵付土瓶はベルリンで1938年(昭和13)第一回国際手工芸博覧会に出品され、特選となりヒットラー賞を受賞した。1947年(昭和22)天皇陛下が益子に行幸された時、皆川マスの絵付をご覧になり、これにいたく感銘されて御製をたまわられた「さえもなき嫗のゑかくすゑものを人のめつるもおもしろきかな」晩年は孫娘ヒロ女に絵付伝承に心をくだいていた。昭和35年7月8日死去。86歳。

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