二荒山神社 (フタアラヤマジンジャ)
詳細
住所 | 栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1 |
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宇都宮市馬場通り。祭神は豊城入彦命・大物主命・事代主命。祭神の豊城入彦命は上毛野君、下毛野君の祖神といわれ、第10代崇神天皇の第1皇子で、天皇の命により毛野国〈下野国〉に下り、この地方を平定し、国土を拓き産業を興された方であり、以来この地は広く繁栄し、仁徳天皇の時代、豊城入彦命の四世の孫奈良別王が、初めて下毛野国の国造に任ぜられ、御先祖の豊城入彦命を、現在下之宮がある南丘の荒尾崎に鎮祭し、国社としたのが当社の始めで、その後第54代仁明天皇の838年(承和5)に南丘の下之宮の地から北方、現在の臼ヶ嶺の高台に遷座されたと伝えられる。延喜式神名帳に「下野国河内郡一座大二荒山神社」とあり、名神大社とされ、昔より“お明神様”として、篤く信仰されており、また武神であるところから、武家の崇敬が篤く、藤原秀郷、源頼朝、徳川家康なども崇敬し、奉幣や神領の寄進をしている。徳川家康も1605年(慶長10)に社殿の造営を行っている。1619年(元和5)本多上野介が宇都宮に入城して町の割替をした時この二荒山を二つに分割して中央に道路を設け本社と下之宮とを分離してから原形をそこなってしまった。社格は1871年(明治4)国幣中社に列せられた。社殿は明治戊辰の役の戦火により焼失し、現在の拝殿や神明造の本殿は明治10年に再建されたものである。例祭は10月21日であり、付祭として、10月28・29日の両日菊水祭があり、古式豊かな鳳輦渡御や流鏑馬神事が行われる。また1月15日と12月15日には「おたりや祭」があり、1月を「春渡祭」12月を「冬渡祭」という。夕刻神輿が渡御し、御旅所で旧神領民が市無形文化財指定の田楽舞を演じ、そののち神輿が市内を渡御し、本社に還御する祭りで、境内には古神札のお焚き上げ所があり、古くなった神札や御守、門松しめ飾りなどのお焚き上げがあり、この日参拝すると火防の霊験があたらかで、火災からまぬがれるといわれ、近隣ともとより、県外からも多くの参拝者があり、夜遅くまで賑わう。
古くはこの夜は戸を閉ざして家の中では火を一切使用せず、針仕事なども一切さける風習になっていた。この他、7月15日~7月20日は末社須賀神社の天王祭で、各町会から繰り出した数十基の子供神輿が17日午後7時頃から市内を渡御し、仮殿前の親神輿と対面し、石段をかけ登り、拝殿前でお祓いを受けて裏参道から帰る親子神輿対面神事がある。
社宝には古文書、古記録その他数多くあるが、主なものとしては吉野朝時代の作といわれる三十八間星兜、1277年(建治3)の銘入りの鉄製狛犬があり、いずれも国の重要美術品。