石井包孝 (イシイカネタカ)
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詳細
住所 |
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1771~1843(明和8~天保14)年。安蘇郡上多田村(現佐野市)出身。豪商・農政家。
須藤宗明の次男として生まれ、安蘇郡戸奈良村(現佐野市)の絹織物商石井五右衛門の養子となる。
包孝は養父の事業を請け更に発展させ、桐生・江戸に出店を持ち、呉服商のほか質屋の経営、湯屋株の貸付、貸家などの多角的経営により関東有数の分権者と呼ばれた。
大名への政治的献金も行っていたが、私財を投じて窮民の救済にあたり、天宝の飢饉では村民救済に努めた。
また戸奈良村は日光道中野木宿の加助郷に苦しんでおり、その村民の救済にもあたった。
包孝の生存中は実現を見なかったが、継筑由章の努力によりついに実現した。
村民はこれに感謝し、1847(弘化4)年鎮守鹿島神内境内に包孝神社を創建して崇敬した。
1918(大正7)年栃木県下大演習の際特旨をもって正五位を追贈された。