五百城文哉 (イオキブンサイ)
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1863~1906(文久3~明治39)年。水戸出身。画家。
明治政府の農務省山林局で標本作成の仕事を担当する傍ら、高橋由一に西洋画を学ぶ。
1893(明治26)年にシカゴ万国博覧会に「日光東照宮」を出品、この絵を描くために日光に赴き、そのまま永住した。
日光に永住してからは主に水彩画を描き、また日光山中の高山植物を採集し珍種を発見するなどの業績も残している。
教育者としても優れており、漢学・書などの幅広い教養が小杉未醒(放庵)・福田タネなどに大きな影響を与えた。
高橋由一・小杉未醒・福田タネとの中間に位置し栃木県近代画壇の母体を作った一人である。