岩崎清七 (イワザキセイシチ)
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住所 |
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1864~1946(文久4~昭和21)年。実業家。
藤岡町(現栃木市)出身。1884(明治17)年福沢諭吉の斡旋でアメリカに渡り、コーネル大学、ついでエール大学に学び1889(明治22)年帰国。
帰国後に家業を継ぎ米穀の仲買商として、銚子の醤油醸造業者に小麦・大豆などを供給する一方、醤油の醸造販売を営み茨城古河・東京深川にも店舗を置いて活躍。
東京ガスの社長を務め、日清紡績株式会社を設立。台南製糖・日本製粉・日本味噌・米穀取引所・磐城セメント・七尾セメント・千代田信託などの重役となり、
1929(昭和4)年にスイスで開かれた国際労働会議には資本家代表として出席、後に東京商工会議所副会頭・日本実業協会会長などを歴任した。
大正初期、日清紡績が経営難に陥った際に宮島清次郎を専務として迎え入れ、立て直しに成功した。
また日中関係が風雲急を告げると時局を憂い、宇垣一成・王子恵と中国に渡り融和に尽くしたが成功しなかった。
1935(昭和10)年に恩師・森?村の森?村先生遺稿集・ついで同続編を刊行した。