印南丈作 (インナミジョウサク)
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詳細
住所 |
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1833~1888(天保4~明治21)年。日光市出身。開拓功労者。
日光市の神山家に生まれ、29歳のとき佐久山宿(現大田原市)で旅宿を営む印南家に養子に入るった。
その才覚が認められ、4年後には町年寄などの役についている。
明治維新後は白河城下の租税取締・佐久山宿名主・戸長・地券調掛・県の勧業課付属などの職についた。
殖産産業の志に篤く、1876(明治9)年からは矢板武とともに那珂川から鬼怒川に至る猪運河計画に尽力した。
1880年(明治13)年には矢板らと共に那須開墾社を組織し、その初代社長となって那須野ヶ原の開拓事業に力を傾けた。
また矢板と共に那須野ヶ原の用水掘削に努力を重ね、1885(明治18)年には国費10万円を要した那須疎水の開削を実現させた。
1896(明治29)年には那須野ヶ原の一画にある烏ヶ森丘上に顕彰碑が建立された。