秋元梅園 (アキモトバイエン)
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住所 |
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1801~1885(享和元~明治18)年。医学者・儒学者。喜連川藩医秋元永定の子として江戸屋敷に生まれる。
1835(天保16)年医業を廃し、もっぱら儒をもって自任した。
1845(弘化2)年に喜連川藩主熙氏が翰林館を設置するに際し教頭に任ぜられ、経学のほか法律・易学にも精通。
詩文をよくし、常に粗衣粗食に甘んじ、俸禄に余裕があれば貧者に施した。
明治政府の集議院開設・諸藩の俊才の招集にあたり選ばれて議員となる。
廃藩後には『栃木県史』100巻を著し、1883(明治16)年には県より史誌編輯資料取調委員を命ぜられ、県資料の収集に尽力した。
門下からは梅園春樹(漢学者)など逸材が輩出している。