小貫万右衛門 (オヌキマンエモン)
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詳細
住所 |
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1762~1837(宝暦12~天保8)年。近世中期の老農。名は信房。
芳賀郡小貫村(現茂木町)の名主の家に生まれる。
小貫氏は芳賀氏の流れを汲んだ大百姓だったが、万右衛門の生まれた頃には破産に瀕し、また天明の大飢饉の影響で田畑をかなり手放していた。
家督を継いだ万右衛門は破綻しかけた家を再生させるべく農業技術と経営改良に務め、その経験に基づいて農家経営の基本と最低限の教養を説いた1808(文化5)年に『農家捷径抄』を著している。
晩年は地域産業振興のため小貝川の通船事業や新田開発事業を試みたが、ついに果たさなかった。
読書家であり、心学を学び『念力金比羅参詣』などの戯作をものするなど博学多才の人であった。