大関増裕 (オオゼキマスヒロ)

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住所

1838~1868(天保8~慶応3)年。下野国黒羽藩の第15代藩主。
遠江国横須賀藩主・西尾忠宝の三男として生まれ、大関家の養嗣子として家督を継いだ。
洋学に精通し講武所奉行を経て槍奉行、更に陸軍奉行の要職に任じられた。
1863(文久3)年全ての職を辞して帰藩し、富国強兵を目標に藩政改革を断行、宿老廃止、人材登用、西洋式兵制、農兵隊組織などを行った。
また藩の財政再建のため勧農方を設立、新田開発に努め、税制を改め租税収入の増大を図った。
1865(慶応2)年には再び江戸に戻り海軍奉行に就任、翌年には若年寄格、1867(慶応3)年には正式に若年寄の職に就いた。
作新学院の名前の由来となる藩校・作新館を創設したことでも知られる。

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