大久保忠成 (オオクボタダシゲ)
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詳細
住所 |
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1766~1851(明和3~嘉永4)年。烏山藩主。宇都宮藩主・松平主殿頭忠恕の三男に生まれ、名は八五郎。
1787(天明7)年烏山城主・大久保忠喜の婿養子となり、1805(文化2)年に家督を継ぎ烏山三万石の城主となる。
この頃領内は天明の飢饉の傷跡が回復しきれないため「何事も初代常春の享保年代に戻せ」を旗印に支出を抑制し農民に勤労・倹約を促し、人口と収納の増加を図った。
1821(文政4)年には財政節約のため「厳法」と称する面扶持制を実施し、また1826(文政9)年には1年3ヶ月の期間をかけ用水を掘削し開田に成功した。
1827(文政10)年、子の忠保に家督を譲り隠居した。
忠成は長命で81歳になっても耳目壮健で、民百姓の撫育が厚かったためであるといわれている。
また文筆にも優れ、画を谷文晁に学び烏山老人・美陽等と号し俳号を素麿と称した。