大橋巻子 (オオハシマキコ)
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1824~1881(文政7~明治14)年。歌人・勤王家。江戸日本橋の豪商・佐野屋菊池淡雅と歌人・菊池民子の娘。
母・民子は大国隆正・吉田敏成らに国学・和歌を学び、倭文舎と号し家集『倭文舎集』、紀行文に『江の嶋の記』がある。
幼い頃より母に学び和歌に優れ、1841(天保12)年に訥庵を婿に迎え、思誠塾で学生の世話をした。
1862(文久2)年に訥庵や養嗣子・陶庵、弟の教中が捕らえられ巻子も呼び出されたが、幕吏の尋問には屈しなかった。
訥庵が捕らえられて以降の経過と心境を和歌を交えて書いた『夢路日記』は志士の間で評価が高く写本や刊本となって全国に広まった。
訥庵没後も陶庵と共に思誠塾の面倒を見て過ごし、1881(明治14)年に没した。