加波山事件 (カバサンジケン)
詳細
| 住所 | 茨城県 |
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1884(明治17)年9月、茨城県加波山にて急進自由党員が峰起した自由民権期の激化事件の一つ。
1882(明治15)年、福島事件で弾圧を受けた福島自由党の河野広躯・天野市太郎ら急進派のグループが、栃木県の急進派の鯉沼九八郎と連携して福島事件の弾圧者・県令三島通庸の暗殺を画策し、ひいては政府高官暗殺計画へと発展して各方面の急進派同志と着々と準備を進めていった。
鯉沼九八郎は爆弾製造に専念したが資金難の為、河野広躯らは東京神田小川町の山岸質店に押し入り失敗し警察の追求を受けるに至った。
また鯉沼が爆弾製造中、誤って暴発し重傷を負うという事態が発生し、官憲の追求が激しくなった。
一味は身を潜めて茨城自由党の同志の援助を求め、下館の有為館に集り再挙をはかった。
宇都宮の栃木県庁開庁式を狙って事を起こす計画であったが、開庁式の延期と官憲の追求のため叶わず、1884(明治17)年9月23日に有為館館長・富松正安を首領として加波山上で決起し政府転覆の挙兵をなした。
しかし加波山上には水がなく籠城が不能であったため、真壁町の下妻警察署町屋分署を襲い、さらに宇都宮襲撃を敢行するため下山途中に警察隊・憲兵隊と激突し平尾八十吉が戦死、全員が離散逃走した。
全員が1885(明治18)年2月までに逮捕され、国事犯としてではなく常事犯として処罰された。
自由党はこの事件により解党に向かい、自由民権運動自体も下火になっていった。



