宇都宮朝綱 (ウツノミヤトモツナ)
map
詳細
住所 |
---|
1121~1204(保安2~元久元)年。八田宗綱の子、母は常陸大橡棟幹の女。
弥三郎と称し左衛門尉・従五位・検校豊前守となる。
出家して益子の大羽に地蔵院を建立し、重網弥陀仏と号した。法名寂心。
平氏に仕えていたが1189(文治5)年の奥州合戦に京都を脱出して参陣し、宇都宮明神の社務職を相伝され頼朝の有力御家人となり、奥州平泉追討に軍功があった。
1193(建久4)年の那須野が原の大巻狩には千人の兵を提供し、奈良大仏殿再建に観音造仏費として6万貫の巨費を寄進できるほどの豪族となった。
1194(建久5)年に公田横領の罪で朝廷に訴えられ、一族流罪となったりした。
長子業綱が病没した後は孫の頼綱に家督を継がせ、大羽に隠居したがなお宇都宮氏一族の指導権は朝綱が掌握していた。