宇都宮釣り天井事件 (ウツノミヤツリテンジョウジケン)

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1622(元和8)年、下野国宇都宮藩主で江戸幕府年寄の本多正純が宇都宮城に釣り天井を仕掛けて、
江戸幕府第2代将軍徳川秀忠の暗殺を謀ったとの疑いをかけられ、本多家が改易させられた事件。

1622(元和8)年4月に秀忠が家康の七回忌で日光東照宮を参拝した際、
往路は宇都宮に一泊したが、帰路は宇都宮城での宿泊の予定を変更し今市から壬生へ出て壬生城に泊まった。
秀忠は今市にて、正純が「宇都宮城の無断修理を行った」・「鉄砲を密造し関所を欺いた」・「宇都宮城の寝所に釣り天井を仕掛け将軍の暗殺を図っている」との密訴を加納御前より受けたが、
帰路で宇都宮城に寄った老中井上正就の調べでは宇都宮城の普請に怪しい所は無く、正純の叛心も見て取れなかった。

同年8月、出羽国山形藩最上家親の改易に際する上使として正純が山形へ赴いた際、正純は不審の条目について罪状を突きつけられたが、
密訴のあった3か条については弁解できず出羽国由利郡5万5000石に転封となったが、正純はこれを固辞したため、秀忠の逆鱗にふれ正純は出羽国横手へ流罪、本多家は改易となった。
後に正純は捨て扶持1000石を与えられ、1637(寛永13)年秋田横手城の一角でさびしく生涯を終えた。

実際に宇都宮城には釣り天井の仕掛けは存在しなかったという。
正純謀反の証拠は無く、宇都宮城に不審点が無いことも調べがついていたため、この事件は正純の存在を疎ましく感じていた土井利勝の謀略とも、加納御前の恨みによるものとも言われている。
また秀忠自身も幕府内で大きな力を持つ正純を疎ましく思っていたという説もある。

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