皆川広照 (ミナガワヒロテル)
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住所 | 栃木県栃木市皆川城内町 |
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1548~1627年(天文17~寛永4)皆川城最後の城主。栃木城を築いた。1563年(永禄6)16歳の時、父俊宗とともに川連城を攻略したのをはじめとし、翌永禄7年には榎本城を攻めている。1566年(永禄9)と1578年(天正6)小田原の北条氏政の大軍が皆川に攻めよせたので、これと戦い1584年(天正12)には北条氏直が来襲し、太平山一帯は占拠された。広照は草倉山を拠点として60日間の攻防をくり返した。常陸の佐竹義宣の仲裁で和議が成立し、北条に組することになった。
小田原攻めで北条に味方し、滅んだがその後徳川家康に仕え、1603年(慶長8)松平忠輝の家老に迎えられ信州飯山城代として4万石を与えられた。その後ざん言で流刑になったが、大坂夏の陣に参戦し、1623年(元和9)常陸国府中(現石岡市)1万石を与えられた。寛永4年12月22日死去。80歳。