多治比広成 (タジヒノヒロナリ)
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住所 |
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文献に現われた最初の下野国司。708(和銅元)年、3月に下野に赴任した広成は、719(養老3)年、に越前国司に転じたが、同年はじめて按察使の制度が設けられると、能登・越中・越後の按察使に任命され、翌年に正五位上となる。
732(天平4)年、には第9回遣唐使として遣唐大使に任じられ、翌年入唐。このとき吉備真備・玄昉らが随行した。使命をはたして蘇州を発したが、途中暴風にあって種子島に漂着し、735(天平7)年、に帰国した。帰国後は正四位上、中納言となり、従三位を授かり、739(天平11)年、に没した。広成は左大臣正二位嶋の第5子であり、勇将県守の弟である。