天狗党の乱 (テングトウノラン)
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水戸藩の尊攘激派(天狗党)の起こした争乱。1864(元治元)年、水戸藩校の一つ小川館の藤田小四郎(東湖の第4子)は、
1863(文久3)年8月18日の政変によって長州藩を中心とする尊王攘夷派が敗退したことに憤激、
田丸稲之右衛門を首領として徳川斉昭の神輿を奉じて筑波山に挙兵、軍議の結果神廟礼拝と称して要害の地日光に籠ることをきめ、宇都宮城下にいたり藩に軍用金1万5000両の借用を申し込んだが、軍用金1000両を得たにとどまった。
彼らは日光東照宮に参拝の後栃木町(現栃木市)へ向い、太平山多聞院に神輿をまつり、隊士を各地に派遣して隊士と軍用金を募り、6月1日出発筑波山へ向った。
この時藤田小四郎らと対立した田中愿蔵の一隊は途中より引き返して栃木町(現栃木市)に軍用金を要求したが、
不調におわり、足利藩栃木陣屋の手配した足利藩兵や吹上藩兵と戦いとなり、町に火を放って引きあげた。
天狗党は武田耕雲斎の参加を得てこれを党首に戴き、幕府の動員した軍や諸生党と常陸国内を転戦した。
11月下野国を経て西国へ向ったが、一橋慶喜にすべて委ねようと越前国敦賀で金沢藩に降伏、幕府はこれを惨刑に処した。



