栃木市と文学作品 (トチギシトブンガクサクヒン)
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【巴波川】尾崎紅葉作。小説。1890(明治23)年12月、『新著百種・号外』に発表。
友人青木某が暑中休暇の筑波登山の帰路投宿した栃木町(現栃木市)で体験したこととして語られる。安宿の娘お蔦の美しさに驚き、
腹痛から逗留6日に及ぶうちに、青木とお蔦は心通わせ、明日は帰京という夜、お蔦を部屋に誘い燈火を吹き消す。
翌朝、青木の懐には「一筆書きのこし申候。私は今夜うづま川へ身を投げ相果て申候。…今までは深くつつみをり候へども、
私事は浅ましき病の片輪ものゆゑ…唯一夜の御情ゆゑに命を捨て候…」というお蔦の書き置きが残されていた。
【微光】正宗白鳥作。小説。1910(明治43)年10月『中央公論』に発表。栃木の町育ちの主人公お国は16歳で上京し、
20歳の今、朝川という男の世話になっているが、母の病気を見舞うという口実で、恋人河津と天王様の祭提灯のともる栃木の町に来る。
晃陽館に1泊し母の見舞もそこそこに、「倭町の角の麻問屋増田新吉」をはじめ知人の多い栃木の町をあとにする。
途中、大宮に2日ほど遊び、朝川のいる東京にもどる。河津はやがて故郷に帰る。周旋屋よしやからの呼び出しで、
お国は花火のように散る空想と、何が待っているのかという期待とで出かけていく。お国の性格描写が中心になっている作品。
【路傍の石】山本有三作。小説。1937(昭和12)年1~6月、朝日新聞に連載。翌1938(昭和13)年11月から1940(昭和15)年7月まで、
改稿『新編路傍の石』として『主婦の友』に連載。戦時下の検閲強化に筆を折りいずれも未完。
ウチダ川の鉄橋にぶらさがってみせるほどの負けん気の主人公、愛川吾一少年は新設の中学進学を断念、呉服商いせ屋に奉公する。
母の死後「東京へ行ったら…」の一念で無断上京、苦難の末、夜学に通うことに希望を見いだす。
逆境にめげず誠実に成長する吾一の姿には、作者の自伝的な面も若干ある。作品中の「たったひとりしかない自分を……」という、
次野先生のことばが有名で、有三文学碑に刻まれている。
【おもい出の町・栃木】吉屋信子作。随筆。1956(昭和31)年『暮しの手帖34early summer1956』に、
「おもい出の町」シリーズ6として発表。作者が下都賀郡長の父と共に1902(明治35)年~1912(明治45)年
をすごした栃木の町の思い出をつづっている。「わたくしには〈ふるさと〉とはっきり呼べるものがない。
……そのなかでいちばんながく棲んでいたのが栃木の町だった。小学校1年から女学校を終る年まで棲んで、
生涯の大事な季節を此処で経た。…」短編ではあるが、「川のある町」「母校の庭」「町裏」「祭の町」
「涅槃図を観た寺」の5章にわたり、栃木の風物のあれこれが語られている。



