梶定良 (カジサダヨシ)

map
各写真をクリックすると拡大して表示します。

詳細

住所

1612~1698(慶長17~元禄11)年。伊勢長島城主菅沼定芳の一族に生れ、はやくから徳川家光の側近に仕えて信任厚かった。
家光没後ただひとり大猷院廟定番を命じられて日光に移り、在住47年、在勤の目付とともに日光山の管理・庶政にあづかり、日光山を監護して幕府の信頼にこたえた。
1683(天和3)年従4位下にのぼり2000石を給せられたが、生涯独身で、誠忠廉直、公私の別を明らかにし、家光追慕の念深く、毎朝寅の刻(午前4時)に起き身を清めて大猷院に詣で、人々に感銘を与えた。
また日光の古跡や伝承を大切にし、私費をもって瀧尾神社に石鳥居を建て、家康の神馬碑や恩賜の愛馬焼加羅の碑なども建てた。寛文の水害・貞享の大火には地元の救済につくし、のちのちまで「梶さま」と慕われた。老中阿部忠秋と親交があり、相とともに信義をつくした。
1698年87歳で没した。徳川光圀寄進の霊牌が龍光院にあり、毎年供養が行われる。定良なき後幕府は日光奉行を置いた。

他の「栃木の人物」の情報

 
阿曽沼氏
藤姓足利氏有綱の四男四郎広綱を祖とする佐野氏族。下野国安蘇郡阿曽沼(現佐野市浅沼町)を領した。 広綱は本家の藤姓足利氏……
 
安生順四郎
1847~1928(弘化4~昭和3)年。初代~3代県会議長。栃木県の牧場開発の先駆者。 上都賀郡久野村(現鹿沼市)の名……
 
安藤輝三
1905~1936(明治38~昭和11)年。大日本帝国陸軍の軍人。2・26事件に関与した皇道派の一人。 岐阜県出身。宇……

この近くのスポット

近隣情報が取得できません
2024年4月25日
123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930
イベント情報
新着情報