三栗谷用水 (ミクリヤヨウスイ)
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詳細
住所 | 栃木県足利市 |
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創設は1570年(元亀元)と伝えられる。明治以前は市場堰とも称し、待堰・矢場堰・借宿堰と共に渡良瀬川四堰の一つに数えられた。
「館林藩五郡農家水配鑑」によれば、水配地域は旧梁田郡、すなわち、今の足利市の山辺地区及び御厨地区・筑波地区・梁田地区に亘り、その水配反別は約637町歩と記されている。
当時の灌漑期の水門操作は幕府役人が行なったといわれるが、三栗谷用水のように違った支配権力が錯綜する土地を持つ用水系統では、強い権力による統括が必要であったからと思われる。
三栗谷用水が、歴史上特筆されるに至ったのは、三栗谷用水組合が大正期の大旱魃を体験したことから、鉱毒水ばかりでなく洪水や用水枯渇の原因が足尾銅山にあるとの認識に至り、鉱毒被害の永久的解決を企図した三栗谷用水の幹線改良事業を実施したところにある。この事業は1933年(昭和8)に具体化し、1977年(昭和52)に一応の完成をみるという大規模なもので、鉱毒水の流入防止と用水不足を補うための補助水源としての目的を持った集水暗渠や効率的な沈砂地による鉱毒泥砂の除去施設に特色を持つ。