益子焼 (マシコヤキ)

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詳細

住所 〒 321-4217
栃木県芳賀郡益子町益子
照会先 益子町観光協会
照会先電話番号 0285-70-1120
ホームページURL http://blog.mashiko-kankou.org/

笠間の箱田焼で技法を学んだ大塚啓三郎が1853年(嘉永6)始め、当時黒羽藩の郡奉行三田弥乎が六軒の業者に資金貸付を行い藩の御用窯として、かめ・すり鉢・片口・土びん等の台所用品を焼いた。明治中期には土瓶全盛でどの窯でも土瓶が焼かれ、特に山水土瓶が最も多く作られた。明治の終り頃、
勿来土瓶がアメリカ人に好まれ大量に輸出され、生産額の三分の一を占めた。明治末期から、粗製乱造となり、最大消費地東京の生活様式(ガスの普及)の変化で、その地位を軽くて丈夫な軽金属の鍋・釜・壼や、かめもガラス製品に奪われ、市場を東北・北海道の農村に求めた。1903年(明治36)窯元は陶磁器同業組合および、陶工養成のため、益子陶器伝習所設立、現在の県陶磁器協同組合、県立窯業指導所の前身である。大正9年の不況時には一か月全窯生産中止したが、関東大震災後は好況に見舞われた。
1923年(大正13)益子に入った浜田庄司は柳宗悦・河井寛次郎等と民芸運動を起こし、益子の土瓶など埋もれた民芸品を世に招介する一方、柳の理論の製作面の実践者として製作活動を続け、新しい益子焼を創造した。太平洋戦争中は企業整備の対象にもなったが戦後の物資不足の為焼けば飛ぶように売れ、仲買人の資本力から窯元が独立するようになった。戦後しばらく後まで、」益子の窯は50内外で大半が甕・擂鉢を作り、一部が食器などの民芸品を焼合した。糖白釉、大谷石と似た凝灰炭の芦沼石を粉にした柿釉、柿釉に木灰を加えていくと黒・飴・黄色になり、糖白釉に数%の銅粉を加えると録釉(青磁釉)になる。これら5~6種類の釉の組み合わせで種々の効果が得られる。素地の上に鉄・コバルト・銅の金属酸化物を水で溶いて文様を筆で描く絵付け、釉上に別の釉を流し掛ける流し掛け・ロウ抜・筒描き・指描き・赤絵などの手法がある。焼成はかっては登り窯を松薪で1300℃まで焼いたが、近来ははるかに簡単な単独窯を石油ガスで焼く窯元が増え、電気窯も普及した。
【特色】益子焼の歴史は比較的新しく120年に過ぎない。製品も最近までカメ・スリ鉢等の実用品が主で大半の窯元は家族労働で量産に励んだ。必然的に装飾の簡素な健康で丈夫な実用品が作り出された。
原土は近くの幾つかの土山で掘り出される硅酸分の多い鉄分を多く含む土で、決して一流のものではない。比較的粘りが少なく耐火度も低いもので厚めに作られる。
釉薬は同じく近在で入手出来る天然の石や灰を混ぜて作られる。主に柿釉・黒釉・飴釉・糖白釉・青磁釉・並白釉の6種である。装飾法も鉄絵・ろう抜・流掛等、簡単で効果的な技法で素朴な土味釉調に適合している。焼成は登窯を用い松薪で1300℃近くで焼かれる。昭和の初めに浜田庄司が益子の健康さにひかれて居を定め、従来の益子焼と同じ原料窯を使いながら、卓抜した芸術性と豊富な知識から古今東西のあらゆる陶技から益子で生かせるものを取り入れて、現在の生活に適する実用品を作り出し、新しい益子焼の伝統を確立した。益子の窯元は直接間接にその影響を受け、需要の転換に伴う新しい製品の製作にも円滑についてゆく事が出来た。
現在窯元数は激増し機械化も進み技法も品種も多岐にわたるが、その根底には健康な心と暮らしから生れる健康な焼物の美しさが脈々として生き続けている。
【現況】浜田庄司によって確立された民芸陶の産地としての益子は、最近の民芸ブームの影響で観光地化し、年間60万人の人が訪れる。幾人かの陶工は民芸の心に基づき、益子の伝統を生かした作家活動をしている。いくつかの窯元は浜田の教えに従い、日常生活に使われる器を手作りで量産している。しかし、多くの窯元は機械化をし、生産量を増大させたため、手作りの味わいが失われつつある。最近益子に入った若い人達には純粋な個人作家を目指す人が多く、従来の原料や伝統にこだわらず、自由な表現を行った作陶活動をしている。
また益子では原土の不足、良い天然原料の不足という問題を抱えている。これらの幾多の問題はあるが、全体としては益子焼の将来を真剣に考え、手作りの益子焼の伝統を守ろうと努力している事が認められ、1979年(昭和54)8月伝統的工芸品産業の振興法により、「伝統工芸品」として指定された。前年完成したバイパス沿いに、益子参考館を起点とし、多数の民芸店が開店し、従来からある店々を加えて新しい益子の名所を形成している。
【技法】通常、水簸・土もみ・成形・仕上げ・乾燥・素焼き・釉掛・本焼の手順で焼物は作られる。
益子では陶磁器協同組合が製土工場で礫・砂・炭化木を除去し粘土分だけにする(水簸)を行っている。土もみは粘土の中の気泡を除き、硬軟をならして均一にする。昔土もみ3年と言われ、毎日もんで身体で覚えたものだが今は土練機の普及で簡単にもめる。成形法には円形を作るロクロ成形、四角や異形を作る型成形がある。前者には足で蹴る蹴りロクロ、手で回す手ロクロ、現在最も多く使われている電気ロクロがある。後者には原形を基に石膏形を作り、粘土の薄板を押しつけ、水分を吸収させ、収縮後取り出す押し型と粘土を水状に溶いて石膏に流し込む鋳込み成形がある。室内で徐々に乾燥させ、ロクロ成形のものはロクロの上に削り台を据え、成形物を逆さに伏せ、回転させながら下部の余分な粘土をカンナで削り取り、高台を作り形を整える(削り)生素地での装飾法に泥漿をかけて表面だけ白くする白化粧、逆に赤くする赤化粧、部分的に丸く白掛けする窓絵、ワラで作った荒い見毛で白土を塗る見毛目、白掛けし部分的に削り取って文様を出す掻落しの手法がある。
天日の乾燥後窯に入れ700℃~800℃で焼かれた(素焼)後釉掛を行なう。益子の釉薬は付近の天然の石や灰を原料としている。寺山白土と木灰を混合して作る並白釉、寺山と木灰と籾殻灰を混ぜ典型的な民窯であった。1955年(昭和30)浜田が無形文化財保持の認定を受けたことで、広く益子焼の名が高まり、多くの窯元で民芸品を焼くようになり、又若い人達が益子に入って修業後独立して築窯する作家が増え、窯数三百を越え、今日の民芸ブームに伴い、民芸益子焼としてその名が知られるようになった。
東京に近く又自然の美しさとあいまって観光地としても脚光を浴びている。

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