小山城 (オヤマジョウ)
詳細
住所 | 栃木県小山市城山町1丁目 |
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照会先 | 小山市 |
照会先電話番号 | 0285-23-1111 |
ホームページURL | http://www.city.oyama.tochigi.jp/ |
小山市城山町に所在する城跡。
祇園城とも呼ばれ、中久喜城・鷲城と共に小山氏城跡として、国の史跡に指定されている。
JR小山駅から西に500m程度、思川東岸に位置する。西側は思川による急な崖となっており、天然の要害をうまく利用している。
1148(久安4)年に藤原秀郷の子孫である小山氏の祖・小山政光によって気付かれたという伝承がある。
奥州道・河川交通の要地にあり、下野国の国司兼守護である小山氏の居城としての威容を誇っていた。
1380~1383(康暦2~永徳2)年に起きた、小山義政の乱の際の小山氏の拠点のひとつとして『鎌倉大草紙』に記されている。
義政が敗れた後は同族の結城家から結城泰朝が城主として迎えられ、以降小山城は再び小山氏の居城となった。
しかし1590(天正18)年小山政種は小田原攻めにおいて主家・北條氏と運命を共にし、小山城も秀吉郡に攻められ落城した。
その後1602(慶長12)年頃に本多正純が入封したが、正純は1619(元和5)年宇都宮城に転封となり、小山城は廃城となった。
東に大手口、西に搦手口があり、東に三重の土塁と濠があった。
現在では小山城跡公園となっており、「小山評定跡」石碑と由来碑が立っている。