那須温泉 (ナスオンセン)

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住所 栃木県那須郡那須町

県北部、那須岳の山麓に散在する温泉群をさす。江戸時代にすでに知られていた那須湯本・弁天・大丸・北・高雄・三斗小屋・板室を「那須7湯」と呼び、明治・大正期に開発された八幡・旭・新那須の3温泉を加えて「那須10湯」と呼ぶ。
現在では郭公、飯盛、旭は廃れ、那須湯本・大丸温泉・弁天・北・八幡・高雄・三斗小屋を「那須7湯」、これに新那須温泉を加え「那須8湯」としている。
なお、郭公温泉は大正15年に発見され、近くの硫黄精練所の従業員浴槽がつくられ利用されていたのを一般に開放するようになったものであるが、その後雪崩で流され、今は石垣を残すのみとなっている。昭和になるとボーリング技術が進み、余笹川、苦土川、高雄股川流域を中心に、いくつかの源泉が開発された。これらの湯はパイプで運ばれている。湯本、大丸、弁天、北、八幡、高雄、三斗小屋、新那須の各温泉は、現在活動し続けている茶臼岳周縁に分布し、大深堀温泉が火山構造性陥没の壁部に当たっている。各温泉の湧出岩は火山岩で、火山活動に伴う熱源による火山性温泉である。泉質は、茶臼岳、殺生石などのような噴気帯付近の温泉では、硫化水素泉で泉温も高い。これは、地下水が火山活動による地熱によって温められると同時に、火山活動によって噴出する硫化水素を溶かし込むためである。噴気帯を離れるにしたがい、地下水は温度の低下を来たすばかりでなく、成分も薄められて単純泉などに変わっていく。
温泉のうち、中心となっているのは最も古い湯本温泉で、旅館もここに集中している。那須温泉の発展は、交通機関の発達によるところが大きい。1886(明治19)年日本鉄道(現在の東北本線)が宇都宮-黒磯間開通し、上野-黒磯が鉄道で結ばれ、さらに、1889(明治22)年、湯本-黒磯間の道路改良工事が行われ、乗合馬車が通るようになると、東京方面から多くの客を迎えるようになり発展した。湯本の市街地も拡大し、従来現在の旭橋(湯川にかかる黒磯からの道路の橋)までであった湯本市街地は大正時代になるとその南の方に伸び、大丸温泉から引湯して旅館もつくられるようになった。1926(大正15)年には那須御用邸も完成している。那須の開発は、戦後が特に著しい。1959(昭和34)年宇都宮-黒磯間電化完成、1962(昭和37)年茶臼岳-郭公平間ロープウェイ開通、1964(昭和39)年大丸温泉-ロープウェイ間バス運行開始、1965(昭和40)年那須高原有料道路開通(現在無料)、1968(昭和43)年那須山麓有料道路開通(現在無料)、1974(昭和49)年東北自動車道開通、1978(昭和53)年那須甲子有料道路(現在無料)と交通路の整備がさかんに行われた。一方、那須山麓には広大な民有地が広がっていたために、道路建設に伴って、1955(昭和30)年代の後半から大小の不動産業者がはいりこみ、別荘地開発が1973(昭和48)年ごろまでさかんに行われ、ここに寮・保養所および県外資本の大規模なホテルが建設された。那須温泉の標高は湯本で800m、ゴルフ場・スキー場・ハイキングコースの設備がととのい、温泉が湧き、四季を通じて観光客が訪れる。 

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