謡曲 (ヨウキョク)

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能のうたい,能の詞章・脚本などをいう。
【殺生石】(古名・那須野)佐阿彌作。複式劇能で四,五番目物。シテ石魂(母シテ里の女,後シテ野干)。ワキ玄翁。玄翁という道人が陸奥から都に上る途中,那須野に来かかると,里の女が傍らの石に近づくなと教える。そのいわれを尋ねると,天竺・大唐・本朝の三国を傾けようとした鬼神が,玉藻の前という上童と化して,仕えていた鳥羽院を悩まし,正体を見破られ,狐となってこの地に逃げて来たが,三浦介,上総介に射とめられて石と化し,毒気をもって人畜を害してきたという。玄翁の供養により,悪事はしないと誓って消え失せる。両介が狐を射たと伝えられている黒羽町篠原に玉藻稲荷神社がある。
【日光山】作者未詳。複式劇能。「日光山縁起」によった近世初期の作品といわれる。シテ男体の神(前シテ翁,後シテ男体権現)。ワキ修行僧。旅の僧が日光で修行中,通り合わせた翁に“山すげの橋”の由来や日光山の神の垂跡について尋ねると,翁は有宇中将とその妻斎姫の物語など,縁起について語る。そのあまりの詳しさに名を問うと,翁は実は日光の神であった。
【那須】(別称母衣)作者未詳。一段劇能。シテ那須余一。ワキ源頼朝。東国を征覇した頼朝は,続いて平家を追討しようとする。その門出祝いに,与一を召し出し,吉例の母衣に太刀を添えて賜わる。与一は頼朝の問いに答えて,母衣の由緒を漢の故事から説き起こす。祝いの神酒を御家人らと酌み,また頼朝の命により,一さし舞う。那須与一は下野国那須郷の武将那須資高の十一子で,黒羽町大輪の高館城によったという。母衣の故事由来はすべて和製で,鎌倉室町期の往来物にその起源があるとされる。
【放下僧】作者は宮増,あるいは金春禅竹とも。二段劇能で四番目物。直面で演ぜられる現在能。ツレ牧野小次郎(後ツレは放下)。シテ小次郎の兄(前シテ禅僧,後シテ放下僧)。ワキ利根信俊。下野国の牧野左衛門の子小次郎とその兄は,父の仇相模国の利根信俊を討つため,当時流行の放下と放下僧に身を変えて旅に出る。やがて夢見が悪いといって武蔵国瀬戸の三島明神に参詣する途中の仇と会い,禅問答や放下の芸をするうち,すきをついてこれを討つ。小次郎兄弟の生家跡が南那須町にあると伝えられ,本望を遂げた後,烏山に永楽百貫の地を賜わったという。
【鴛鴦】(別称阿曽沼)作者未詳。複式能。室町中期またはそれ以前の古作とされる。シテおし鳥の精(女)。ワキ鷹匠阿曽沼の某。若年から鷹狩りをしてきた阿曽沼の某が,ある日阿曽沼で雄鴛を獲ったが,雨に降られてそこに一泊したところ,夢の中に女が現われ,「日くるれば誘ひし物をあそ沼のまこも隠れの独寝ぞうき」という歌を示す。一夜明け近くの寺から僧を招いてこの不思議を語ると,僧は“充満其願如清凉池”と唱えよと教える。この法華経の要文を朝夕撒誦するうち,再び夢に,鴛は天人に生れかわったと見る。鴛鴦の伝説は各地にある。

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