県六石 (アガタリクセキ)
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住所 |
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1823~1881(文政6~明治14)年。幕末の宇都宮藩家老。山稜補修事業の提唱者。名は信緝、勇記ともいう。
宇都宮藩家老安形伴左衛門の子に生まれ、のちに安形の字を県に改める。
21歳のとき脱藩して江戸の大橋訥庵の塾に学び、その後江戸と宇都宮を往復して尊皇攘夷派の志士として行動する。
1862(文久2)年の坂下門外の変が起こると、一味として家格家禄没収のうえ謹慎となったがまもなく許され、投獄されている師友の赦免運動に奔走した。
18648(元治元)年の天狗党事件ではその応接の中心であった。
六石は天狗党の思想には共感を示しつつその行動にはついに同意しなかったにもかかわらず、御役御免謹慎の処分を受けた。
1868(慶応4)年の戊辰戦争に際しては宇都宮藩の論を新政府側に統一するのに尽くし、宇都宮藩が維新の激流を乗り切るため尽力した。