足利俊綱 (アシカガトシツナ)
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?~1183(?~寿永2)年。平安末期の武将。藤姓足利氏の一族。
『吾妻鏡』によれば、仁安年中(1166~1169年)に「或女性之凶害」事件によって
平重盛が俊綱の「足利庄領主職」を没収して新田義重に与えようとした時、俊綱が上洛し愁訴した結果再び職を返されたという。
この事件によって俊綱は重盛に恩義を感じ、治承・寿永の乱では平家方に組し源姓足利氏と対立した。
1183(寿永2)年志田義広と同盟を組み源氏方と戦うが、野木宮合戦で義広を失い没落。
頼朝の追討軍が追いつく前に郎従桐生六郎に背かれて殺害された。