足利織物 (アシカガオリモノ)

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詳細

住所
照会先 足利織物連合会
照会先電話番号 0284-22-0313
ホームページURL http://www6.ocn.ne.jp/~ashiori/rengoukai.htm

足利織物の起源はきわめて古いが、足利が隆盛を誇り江戸の中央市場と結びつきを得るようになったのは、18世紀後半のことである。
1780年代には足利産の絹織物が桐生の絹市に販売されるほか、江戸の著名な呉服屋と有力な織屋との間で直接取引されるようになった。
また、1770年代には小倉織、1790年代には結城紬といった木綿織物の生産も始まり、
18世紀末以降京都西陣より桐生を経て足利地方へ移入された高機とそれに伴う新しい織法の導入がなされると、足利織物の本格的な商品生産が展開するようになる。
とりわけ、1820年前後から急速に木綿織物・絹綿交織物の販路が拡大され、足利織物の好況期を迎えた。
その結果、錦糸市(1824(文政7)年)・生糸市(1842(天保13)年)が開設され、ついで1832(天宝3)年には製品の取引市場も従来の桐生市から自立した足利独自の市場が開かれることになった。
さらに天保の改革による絹の奢侈品の禁止や、安政の開港による生糸価格の高騰も、桐生に比べて足利に有利に作用した。
足利織物の生産形態は前貸問屋制=賃機制を基本とし、マニュファクチュア形式の工場の出現は明治20年代の後半であった。
現在では足利はレースの生産で著名である。

佐野織物も足利織物と動向をほぼ同じくしたと思われる。
幕末期には佐野市域の織屋が足利市場に参画する仲間であったことや、結城紬などの木綿織物をもって文政年間に急速に栄えたことなどはそれを裏付ける。
佐野では彦根藩佐野陣屋の支配の下に六斎市が開かれ、そこでも織物取引が行われていたらしい。

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