金田村事件 (カネダムラジケン)

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住所 栃木県大田原市

1952(昭和27)年4月、金田村(現大田原市)乙連沢羽田地区の農民150名による「未墾地解放・不在地主所有山林解放」を要求して起きた山林解放闘争事件。
金田村は那須野ヶ原の東端にあたり八溝山系の裾野につらなる純農村地帯で、水田・畑・山林各1500haという広大な村であった。
しかし終戦まで金丸ヶ原という広大な平地が陸軍の演習場と飛行場に使われていたという事情もあり、加えて実際の周辺の農耕地の地籍が山林登記されていたという事とあいまって、農地解放の際わずかに6haしか解放されなかった。
特に乙連沢地区には開拓農民が多く、耕地所有lha以下という者が大部分であった。
しかもこれらの農家は慣行として山林所有者に謝礼金を出して、たい肥用の落葉集めをしていたが、山林所有者の約3割強が村外の不在地主であった。
このような事情から乙連沢地区の農民150名が羽田地区の通称銀行山の解放要求を決議し、あわせて村長・農協組合長の辞職を要求、村の農地委員と農協幹部の非常用もみ横流し事件の責任追求に立ちあがった。
その後、谷中・羽田・小滝・北金丸の各地区からも不在地主所有の山林解放要求が出され、村の農業委員会はこの要求に対し実地踏査の結果銀行山150haを解放適地と認め県に申請した。
しかし県側は、この解放要求が一部急進的分子の行き過ぎ指導とみて申請を承認しなかった。
これに焦りを感じた農民の一部脱落と、指導の内部対立と分裂により農地委員長宅へのふん尿投げこみ事件・村役場吏員殴打事件が相次いで起こり、村内も深刻な対立の渦に巻きこまれ暴力抗争が連日起こるに至った。
8月8日未明、大田原警察署を中心とする警官隊400名が金田村を強制捜査し、暴力行為・傷害容疑で村議を含む36名の農民を一斉に検挙した。この痛撃により山林解放闘争は腰くだけとなり終止符が打たれたのである。
この事件を機に、県内でも南犬飼村(現壬生町)稲葉村(現壬生町)七井村(現益子町)等でも雑木林解放を求める山林解放運動が起こった。

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