蒲生君平 (ガモウクンペイ)

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住所

1768~1813(明和5~文化10)年。学者・志士。名は秀実、字は君平、修静庵と号す。宇都宮出身。
油商・福田家の出であるが、その祖が蒲生氏郷より出ていることから発奮、志を立てた。
鹿沼の儒学者・鈴木石橋に学び、黒羽藩士・鈴木為蝶軒の影響を受け、水戸の藤田幽谷と交流しその学問の基礎を固めた。
23歳の時陸奥にに遊学、高山彦九郎を慕い、帰路には林子平を訪ねた。
ロシア軍艦の出現を聞き国防への関心を高め、1795(寛政7)年再度陸奥を旅する。
1799(寛政11)年には山陵探索のため全国の天皇陵を旅する。
1804年(文化元)より江戸・駒込に塾を構え、学を講じ書を著わす生活に入って晩年を過すことになる。
『山陵志』において古墳の形状を「前方後円」と称したため、前方後円墳の語が生まれた。
1813(文化10)年、46歳で病没。墓誌は藤田幽谷が書き、墓は東京・谷中の臨江寺にある。
1869(明治2)年、明治天皇の勅命により宇都宮市花房に「蒲生君平勅旌の碑」が建てられた。
1925(大正14)年には宇都宮市塙田に蒲生神社が創建された。
刊行された著書には『不恤緯』・『山陵志』・『職官志』・『皇和表忠録』・『蒲生君平遺稿』などがある。

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