中村城 (ナカムラジョウ)
詳細
住所 |
〒 321-4351 栃木県真岡市中2402 |
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照会先 | 遍照寺 |
照会先電話番号 | 0285-82-3755 |
ホームページURL | http://www5.plala.or.jp/henjo-ji/ |
真岡市中に所在する平城で県指定史跡。
現在は真言宗智山派の如意山寶珠院遍照寺の境内。
藤原(中村)朝宗が1156(保元元)年中村八幡宮の南東に居住し築城したと伝える。
城跡は東西414m・南北486mのほぼ方形状で、周囲には幅約8m・深さ5~6mの空堀がめぐらしていた、大規模な中世領主の城館跡である。
現在、城域の中心には遍照寺が建立されている。
朝宗が管掌した中村荘は、藤原摂関家の荘園であった。朝宗の子宗村は中村と常陸国伊佐荘を管領して常陸介に任じられ、のちに中村入道念西と称した。宗村は1189(文治5)年源頼朝の奥州合戦に従軍し、伊達郡石那坂の戦いにおいて戦功をたて、伊達郡(現福島県)の地頭職となり、伊達氏を称した。中村城主は二男の朝定が継いだ。
朝定の子孫経長は、南北朝の動乱期に北畠顕家の軍に従って転戦したが、その後、宇都宮公綱を頼ってその家臣となった。1544(天文13)年に中村城は下館城主水谷正村に攻められ、中村玄角は討死し、その子時長は城を焼いて宇都宮に逃れたあと米沢に走って、伊達政村の家臣となった。翌年に宇都宮尚綱は中村城奪回のために、武田治郎太輔信隆に命じて、水谷蟠龍の居城久下田城を攻めたが敗れ、中村領は水谷氏の領地となった。
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