早野巴人 (ハヤノハジン)
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住所 | 栃木県那須烏山市 |
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1676~1742年(延宝4~寛保2)俳人。烏山に生まれる。若くして江戸に出て、宝井其角・服部嵐雪に師事し、初めは竹雨と号していたが、後に巴人と改めた。
1727年(享保12)頃江戸を去って京都に移り、郢月泉と称して名を成し、門下に望月宋屋・高井几圭らがいた。1737年(元文2)江戸に帰って夜半亭宋阿と称し、
俗化する俳壇の中で終生清高の風格を保ちながら、砂岡雁宕・与謝蕪村らを育成した。江戸で死去,享年67歳。墓は浅草の即随寺(現在は千葉県市川市に移転している。)にあるほか、
京都の地蔵院(通称、椿寺)にもある。作品集としては巴人生前に「一夜松」「桃桜」などの編著があるが、没後、雁宕らによって「夜半亭発句帖」が編集されている。
「若竹や筑波に雲のかかる時」なお、烏山には、滝田天満宮の「烏山八景」の碑に師の其角・嵐雪らの句と並んで、巴人の「水聞の耳のうごきや家さくら」の句があるほか、
宮原の那珂川畔に「落あゆや水に酔ひたる息づかひ」の句碑が建てられている。
寛保2年6月6日夜半亭にて病没。享年67