ピストン堀口 (ピストンホリグチ)
詳細
住所 | 栃木県真岡市 |
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照会先 | ピストン堀口道場 |
照会先電話番号 | 0467-82-4745 |
ホームページURL | http://www.p-horiguchi.co.jp |
1914~1949年(大正3~昭和24) プロボクサー。本名堀口恒男。中村(現真岡市内)生まれ。真岡中学(現真岡高校)4年のとき体育教師佐々亮からボクシングの手ほどきをうけた。
ボクシングヘ進む契機となったのは、その年に日本拳闘倶楽部会長の渡辺勇次郎(真中先輩)を招いて行われた講演会、模範試合飛び入り歓迎の試合等の催しである。
この歓迎の試合で、堀口はフライ級チャンピオン徐廷権と対戦し、強打を浴びながらも一回戦のゴングまで「負けた」といわず、その根性が渡辺に注目された。
1932年(昭和7)卒業と同時に日本拳闘倶楽部に入り、同年全日本アマチュア選手権試合で準決勝まで進み、これを契機にプロに転向早稲田大学を中退した。
同年国技館での日仏対抗試合で、仏のブラッドネルと戦い、ピストンのような連打法で応酬し引き分けた。この戦いで堀口は、ピストンの名を冠せられた。
1934年(昭和9)に日本フェザー級チャンピオン、翌々年には東洋フェザー級チャンピオンのタイトルを獲得し、リングの王者の名を全国にとどろかせ、47連勝の不滅の記録を残している。
戦後は現役を引退し、茅ヶ崎市でボクシングジムをつくり、後進の指導にあたった。1949年(昭和24)列車事故で栄光の一生を閉じた。また、38連勝の記録を残した
バンタム級チャンピオン堀口宏は、ピストン堀口の実弟である。