芳賀氏 (ハガシ)
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住所 | 栃木県真岡市 |
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天武天皇の皇子舎人親王の流れをくみ、はじめ芳賀郡芳賀城(現・真岡市台町)、後に飛山城(現・宇都宮市竹下町)を拠点とした中世の豪族。
始祖高親は、一品舎人親王の子孫滝口蔵人清原高澄七世の孫といわれ、文治年間(1185~1190)、芳賀郡真岡(『和名抄』の芳賀郷)に住したことにより、芳賀氏を名乗るようになったという。
飛山城に移転してからは清原姓に復した。芳賀氏は、芳賀郡益子郷に居館をかまえた益子氏(紀氏)とともに、代々宇都宮氏の被官の家柄で、益子氏ともども「紀・清両党」と呼ばれた。
芳賀氏の動向としては、高親が1189年(文治5)の奥州征伐に際して、軍功を遂げ、頼朝より旗一流をさずけられたのをはじめとして、特に南北朝の動乱期に、主君宇都宮氏に従い、畿内・北陸をかけめぐった活躍が目立つ。
それは、敵将楠木正成をして「宇都宮ハ坂東一ノ弓矢取也。紀、清両党ノ兵、元来戦場ニ臨デ命ヲ棄ル事塵芥ヨリモ尚軽クス、其兵七百余騎志ヲ一ツニシテ戦ヲ決セバ、当手ノ兵縦退ク心ナク共、大半ハ必討ルベシ」(『太平記』)と言わしめたほどの活躍であったという。しかし1597年(慶長2)主家宇都宮氏の滅亡とともに滅んだ。