宇都宮興廃記 (ウツノミヤコウハイキ)
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下野宇都宮氏一族の興亡を叙述した江戸時代の軍記物。作者不詳。
著作年代は正確には分からないが、河野守弘が『下野国志』に引用しているので近世中期頃と思われる。
最初に目録14項を挙げ、1060(康平3)年源頼義、義家親子が奥州の安倍氏追討の際、
調伏祈祷のため関白藤原道兼の曾孫藤原宗円が下野に下向したことから起筆し、3代朝綱、5代頼綱、9代公綱、13代持綱、18代忠綱、20代尚綱、21代広綱の事項
及び益子勝宗入道睡虎の所領没収、壬生上総介と皆川山城守が後北条氏に属すること、宇都宮・佐竹両氏が秀吉に従うこと、
後北条氏と宇都宮・小山・真岡・多功・上三川氏の保志障合戦などを述べ、最後に宇都宮一門の没落に触れ、1607(慶長12)年12月22日武州石浜にて宇都宮国綱没で終結している。
原典の所在は不明であるが、東京大学資料編纂所に謄写本がある。