宇都宮公綱 (ウツノミヤキンツナ)
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詳細
住所 |
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1302~1356(乾元元~延文元)年。宇都宮9代城主。貞綱の二男。初め高綱、後に公綱と名乗る。引付衆。
1333(元弘3・正慶2)年北条高時の命により上洛、摂津四天王寺に出陣、官軍と戦い各地に転戦、楠木正成をして「宇都宮は坂東一の弓矢取なり。
紀・清の両党は扇情に向かって命を捨てること塵芥よりも猶軽くす」と言わしめた。
北条氏滅亡と共に官軍に属し、1336(延元元)年には後醍醐天皇の元に馳せ参じた。
1338(延元3・暦応元)年北畠顕家と共に西上したが、顕家が和泉石津において敗れたので、公綱は宇都宮へ戻り髪を切って仏門に入り、名を理蓮と改めた。
1351(正平6・観応2)年に足利尊氏と直義が駿州薩?山において合戦した時、公綱は尊氏の後詰めとして上州へ進軍し桃井直常を破り、
戦功により上野・信濃の守護に封じられた。
後に宇都宮興禅寺境内に庵を建立、「正眼庵」と号した。