宇都宮国綱 (ウツノミヤクニツナ)
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詳細
住所 |
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1568~1607(永禄10~慶長12)年。宇都宮21代広綱の子。従四位侍従下野守、左衛門尉。
1584(天正12)年小田原の北条氏直来襲により、国綱は佐野鯉名沼に出陣、加勢の佐竹義重とともに110日間に渡る対陣の後、北条軍を退けた。
1585(天正13)年3月那須薄葉原の合戦、同年12月北条氏直の再来襲、同14年10月の水谷蟠竜との上三川における合戦、同15年2月日光山衆徒と鞍ヶ崎における合戦など、
1584(天正12)年より1589(天正17)年まで合戦が止むことなく続いた。
1590(天正18)年豊臣秀吉の小田原征伐に出陣、この功により本領約18万石と羽柴の称号を賜り、従四位侍従に補せられた。
1592(文禄元)年朝鮮遠征には一族を率いて釜山に上陸し軍功を上げたが、突如として秀吉の命により改易され、
危機に立たされたところで宇都宮領に秀吉による検地が行われ、「国綱は所領を偽っていた」との罪科で1597(慶長2)年所領を没収された。
翌年3月、秀吉の命で再び朝鮮に出陣、小西行長の軍に従って奮戦したが一族の復興は叶わず、帰国後各地を放浪中に江戸浅草の石浜で病死したという。