宇都宮氏 (ウツノミヤシ)
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平安末期、関白藤原道兼の曾孫、藤原宗円が下野に土着し宇都宮氏の始祖となった。
史上への出現は3代朝綱からで、朝綱は頼朝挙兵時より参陣して鎌倉幕府の有力御家人となり、下野中央部から常陸に及ぶ地方豪族となった。
5代頼綱から泰綱・景綱・貞綱・公綱・氏綱と歴代の歴代の宇都宮氏は和歌をよくし、勅撰和歌集に撰ばれ、その一族の塩谷朝業(信生法師)や笠間時朝らも優れた歌人で、中世文学史上に宇都宮歌壇の名を不朽のものとした。
南北両朝の抗争に9代公綱の活躍が知られているが、その去就には複雑なものがあった。
室町期には鎌倉公方・上杉両家などの覇権争いとなり、各地に群雄の私閥が形成され、宇都宮氏もその渦中にあった。
11代基綱・13代持綱・20代尚綱は討死し、16台代正綱は陣没。
12代満綱・14代等綱・18代忠綱らも空しく異郷に没し、宇都宮氏は危機に陥る。
22代国綱は南からは北条氏の大軍、北からは那須勢と激戦が絶えなかった。
1590(天正18)年、秀吉は北条氏を降伏させ天下を統一し、国綱は秀吉の優遇を受け旧領に封じられたが、間もなく秀吉の怒りを受け1597(慶長2)年宇都宮氏は総没落、歴史の表舞台から姿を消した。
関東八家の豪族宇都宮氏は22代500余年でその栄光を閉じた。