千本氏 (センボンシ)

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祖は那須資隆の十男為隆。為隆は弟宗隆と共に源義経に従い、一ノ谷・屋島の合戦で平家を破り功をなす。
1190~1199(建久年間)年、父資隆より千本(現・茂木町)を分知され、教ヶ岡(千本)城に拠り千本氏の初代となる。
2代信隆は1221(承久3)年の承久の乱の時、北条朝時軍に従って上洛し、後鳥羽上皇方を破る。
経隆は1333(元弘3)年5月新田義貞に従い鎌倉攻めの先駆を勤め、鎌倉幕府倒壊に功をなした。
また1335(建武2)年、北条時行挙兵の際も義貞に従い、後醍醐天皇の警護に当たった。
15世紀初め宗家の那須家分裂後は下那須(烏山)に属した。1439(永享11)年、永享の乱の時、
千本資長は関東管領上杉憲実に従い鎌倉公方足利持氏を破る。
1514(永正11)年、那須資重の両那須統一後、千本氏は資重(烏山)の風下に立つ。
1551(天文20)年、千本資俊は宗家那須高資の弟資胤と謀り高資を千本城に誘殺し、資胤を宗主に据えた。
1567(永禄10)年、大崖山の戦いに資俊は茂木三郎と共に資胤に味方し佐竹勢を破った。
1585(天正12)年、12月8日千本資俊・資政父子は那須資晴(高資の甥)に謀られ滝の太平寺で暗殺された。
茂木氏の二男義政が千本義隆と称し千本城主となり、豊臣秀吉に属し、小田原征伐・朝鮮の役に従った。
その子義定は徳川家康に従い1602(慶長7)年、領地3370石を賜った。江戸時代千本氏は東照宮修造等の普請方の旗本として幕府に仕えた。

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