村上啓作 (ムラカミケイサク)

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住所

1899~1948(明治22~昭和23)年喜連川町鷲宿小学校(2010年さくら市立喜連川
小学校へ統合)・陸軍中央幼年学校・陸軍士官学校・陸軍大学と秀才コースをたどり、
1916(大正5)年卒業、1939(昭和14)年には中将に進んだ。
日本陸軍に村上ありと世界的にその存在を認められるようになったのは、
世界的名著『戦争要論』の著作によってであった。
日本の戦術家ばかりか世界の戦術家で、この著書を読まぬ者は皆無であったと
いわれ、その非凡さが判る。第二次世界大戦では等39師団長として大陸に転戦。
時の権力者、東條大将と相対し、東條をして最も怖れさせた1人であった。
戦後、シベリア抑留となり、1948(昭和23)年9月、ハバロフスクの収容所で
病死した。

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