本田正純 (ホンダマサズミ)
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住所 | 栃木県宇都宮市 |
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1565~1637年(永禄8~寛永14)近世初期の幕府重臣、宇都宮藩主。上野介。徳川家康の最高の側近である本多正信の子として、父と共に家康に仕え権勢を振い「皇帝の顧問会議長」と称される。秀忠の将軍就任後は家康に随い駿府(現静岡市)に移り、大御所政治をとりしきり辣腕を振う、1619年(元和5)小山城5万3千石より宇都宮城15万5千石に移る。正純は宇都宮城主として領内の総検地を実施し、宇都宮の町割り、城普請など城下町の建設につとめたが、1622年に突如として秀忠の勘気に触れ改易され、出羽(現秋田県)に流され同地で死んだ。正純の突然の失脚から「宇都宮釣天井事件」という将軍謀殺計画が世間に流布しているが俗説であろう。家康の死後の秀忠政権における権力闘争による失脚とみるのが妥当であろう。
寛永14年(1637年)3月10日、正純は配所の横手で死去した。享年73。