源義家 (ミナモトノヨシイエ)
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詳細
住所 |
〒 326-0803 栃木県足利市家富町2220 |
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照会先 | 鑁阿寺 |
照会先電話番号 | 0284-41-2627 |
1039~1106(長暦3~嘉承元)平安時代後期の武将。清和源氏の嫡流で、鎮守府将軍頼義の長子。7歳のとき石清水八幡宮で元服したので、八幡太郎と称した。
左近衛将監・検非違使・左衛門尉・左馬権守に進み、河内・相模・信濃・下野・伊予などの守を歴任し、正四位下に叙せられた。
下野守に任じたのは1070年(延久2)である。前九年の役には頼義に従って安倍頼時・貞任父子と戦った。また後三年の役(1083~1087)の際には、清原氏の乱を鎮定した。1098年(承徳2)に院の昇殿を許され、1104年(長治元)延暦寺衆徒の乱暴を制止するため、詔により悪僧を追捕している。
義家の長子義宗は早世し、次子義親は流罪に処せられ、三子義国も問責をうけて下野の足利別荘に寵居するなど、その正統は養嗣子とした為義に引き継がれた。
三子源義国の足利別荘{金剛山 鑁阿寺(ばんなじ)}この地に館が設けられたのは平安末期で、源義家(1039~1106)が下野(今の栃木県)守のときその別荘として建てたのが始まりという。 その子義国は始めてここに住み、義国の子義康が地名をとって足利を氏とし、昇殿を許され、その子義兼は八条院蔵人になった。
没年:嘉承元年7月4日(1106年8月4日)享年68