源義国 (ミナモトノヨシクシ)
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詳細
住所 |
〒 326-0803 栃木県足利市家富町2220 |
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照会先 | 鑁阿寺 |
照会先電話番号 | 0284-41-2627 |
1082~1155年平安時代末期の武将。義家の三男。日野氏傍流の中央貴族藤原有綱の女を母とする。1150年(久安6)の事件が義国のその後の運命を変えた。
事件とは宮中に参内の途中、右大臣藤原実能の行列に会い、随身に無礼をとがめられたため、義国の郎等らはこれを恨み右大臣邸を焼き討ちした。
このため勅勘をこうむり、下野国足利の別業に蟄居を命ぜられた。別業とは私領を意味し、父義家から伝領された土地である。
この時期には義国の地方拠点として足利荘と梁田御厨が成立していた。足利別業の地は、山辺の八幡宮西北にある通称「源氏屋敷」の館跡であろう。
1154年(久寿元)に出家し、荒加賀入道と称し翌年1155年、新田荘の義重の館で七十三歳の生涯を終えている。義国は足利在留わずかであるが、長子義重は上野国新田郡にいて新田氏を称し、次子義康は足利に住して足利氏の祖となった。