壬生氏 (ミブシ)
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詳細
住所 | 栃木県下都賀郡壬生町本丸1-1-30 |
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照会先 | 常楽寺 |
照会先電話番号 | 0282-82-0225 |
出自については多くの未解決の問題があるが京都公家の流れを汲むものであることは確かである。1462年(寛正3)10月壬生胤業が始めて壬生に築城。
小槻宿禰今雄苗裔壬生官務庶流として、宇都宮氏、小山氏、皆川氏等の豪族の間に介在、次第に勢力を伸していった。
胤業・綱重・綱房・綱雄・義雄を壬生家五代と称している。二代綱重は永正年間(1504~1520)すでに鹿沼に館を構えていた。
三代綱房は1532年(天文元)鹿沼坂田山に築城。羽生田城、藤江城、板橋城を出城とした。これは日光山神領守りの配置とみることができる。
四代綱雄は一族の内紛から1576年(天正4)鹿沼天満宮社頭で叔父徳雪斎周長のため殺され周長を討ち、父の仇を報じた義雄が五代の城主となる。
三代綱房は日光神領総政所となり、弟昌膳は日光山第48代権別当となった。四代綱雄、五代義雄も日光山総政所となった。綱雄の勇名は那須氏、宇都宮氏との合戦記録にもうかがわれる。
義雄も隣国皆川氏と交渉を持ち、当時の戦記物にも壬生上総介としての名は、しばしば出てくる。1590年(天正18)小田原北條氏に味方、秀吉に敵対し遂に没落した。
壬生町常楽寺は壬生家の菩提寺であったといわれ、同所雄琴神社は壬生家の勧請と伝えられる。