壬生藩 (ミブハン)

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詳細

住所 〒 321-0225
栃木県下都賀郡壬生町
照会先 常楽寺
照会先電話番号 0282-82-0225

下都賀郡壬生城周辺を領する譜代の小藩。戦国時代ここを支配した壬生氏は1590年(天正18)豊臣秀吉の関東制圧に抗して後北条氏と共に滅亡し、以後は日光道中の壬生通りの要地として、徳川家と縁故の深い幕府要職の大名が相次いで封ぜられる譜代大名の城地として明治をむかえている。
1602年(慶長7)日根野吉明が10900石で壬生城に封ぜられたのが当藩の成立である。吉明は日光東照宮の造営に尽力し、また将軍の日光社参の際に壬生城に立ち寄る例を開いた。
次いで1635年(寛永12)阿部忠秋が2.5万石で入封したがまもなく老中に昇進し、武蔵国忍(現埼玉県行田市)へ転封し、1639年(寛永16)三浦正次が2.5万石で入封した。正次は将軍家光の側近として、阿部忠秋と共に六人衆として幕府の中核をなしていた。この三浦時代に黒川の大改修を行っている。1692年(元禄5)松平輝貞が3.2万石で入封し、城下町の整備をしたという。次いで1695年(元禄8)若年寄の加藤明英が近江国水口(現滋賀県)より加増され2.5万石で入封した。
加藤時代に年貢増徴に反対した壬生領百姓一揆(七色の掛物運上一件)が起っている。そして1712年(正徳2)加藤氏と入れ替わりに、若年寄の鳥居忠英が3万石に加増され近江水口より入封した。忠英は壬生領内の殖産興業策の一つとして前任地の江州より干瓢を取り寄せ栽培させ、今日の栃木県名産の礎を作りだしたといわれている。鳥居壬生藩は以後7代続き明治をむかえている。 

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