戸田忠至 (トダタダユキ)
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1809~1883(文化6~明治16)年、高徳藩主。宇都宮藩主戸田忠寛の孫。間瀬家を相続し和三郎と称す。
江戸家老となり、崩壊しつつある幕藩体制の中にあって宇都宮藩の維持を画り、宇都宮藩単独の山陵修補実現のために県六石とともに奔走する。
1862(文久2)年には戸田姓に復し、朝廷より山陵奉行に任ぜられ、神武天皇以下、代々の天皇陵の修補にあたり、その功績によって1865(慶応元)年に水戸天狗党の乱に連坐して棚倉転封を命じられた宇都宮藩の危機は救われると共に、翌1866(慶応2)年、高徳藩主となった。明治政府に出仕して会計事務局判事、山陵修補奉行、京都裁判所副総督、宮内大丞、諸陵頭を歴任した。1883(明治16)年75歳で死去。