栃木山 (トチギヤマ)

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詳細

住所

1892~1959(明治25~昭和34)年、栃木山守也、大正時代の強剛横綱である。
本姓横田守也、旧赤麻村である下都賀郡藤岡町字大前(現栃木市藤岡町)(旧赤麻村)で生まれた。
19才の時上京して出羽の海部屋に入門し、1911(明治44)年5月序の口全勝から6場所、
1914(大正3)年1月に十両、1915(大正4)年1月場所入幕、力士となってから7場所で僅か3敗という前代未聞で幕内力士となる。
1916(大正5)年5月小結、1917(大正6)年1月関脇、同5月大関とスピード出世し、
大関2場所連続優勝して1918(大正7)年5月第27代横綱に推挙される。
(大正時代までは年二場所制度であった)横綱になってからも3場所連勝し第22代横綱太刀山に続いて2人目の5連勝力士となる。
1925(大正14)年1月場所に9回目の優勝を遂げた後突然引退声明。世間は驚き慰留したが強固に意志を貫いた。
尚入幕以来10年間21場所の勝率は8割5分8厘と驚異的であり、昭和10年代に出た名力士双葉山は8割5厘である。
彼は春日野親方にみこまれて養子となり姓を中田と改め、春日野部屋を興し横綱栃錦・栃の海、大関栃光、
その他八染(足利市)大平山・若鳴門・鳴門海等、数多くの関取を送り出して部屋の基礎をゆるぎないものにした。
1931(昭和6)年6月開かれた第1回力士相撲選手権大会で、
引退してから6年も経ていたが現役・年寄をなぎ倒し決勝で現役大関玉錦を破り優勝した。
彼は頭髪が薄くなり力士の生命である大銀杏髷が結えなくなったためではないかと思われる。
引退後は検査役、理事、取締役として相撲協会の発展につとめた。功績により勲4等瑞宝章を授けられた。
相撲界最初の叙勲者である。藤岡町大前には記念碑が建立されている。

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