板垣退助 (イタガキタイスケ)
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1837~1919(天保8~大正8)年。土佐藩上士の家に生まれた退助は、1865(慶応元)年江戸に出て騎兵術とオランダ兵術を学び、時勢の推移を見極めて、薩摩藩の小松帯刀・西郷隆盛らと討幕の盟約を結ぶとともに、土佐藩の兵制改革に尽した。
1868(明治元)年戊辰戦争では、土佐迅衝隊(大隊)を率い、東山道軍参謀を兼ねて東征。大鳥圭介らの旧幕軍が拠った日光山を攻撃するにあたっては、これを諭して日光から撤退させ、東照宮を戦火から避けた。
のち退助は会津城攻略の主役となり、維新後は明治政府の参議に任じたが、やがて下野して自由民権運動の先頭に立ち、1881(明治14)年自由党を結成、政党政治の先駆者となった。
1929(昭和4)年土佐出身本山白雲作の銅像が神橋畔に建てられたが太平洋戦争中金属回収のため失われ、1967(昭和42)年再建。