金谷真一 (カナヤシンイチ)
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詳細
住所 |
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1879~1967(明治12~昭和42)年。旧日光楽人金谷善一郎の長男。(四軒町の旧宅は金谷侍屋敷として現存)
父善一郎は、ヘボン博士(ヘボン式ローマ字の発案者)を自宅に宿泊させたのが契機となり。同博士の指導により1873(明治6)年近隣の屋敷をも借りてホテル業(避暑地カッティジ・イン)を始める。
真一は13歳の時上京して築地のセントポールカレッジ英語専修科(立教学校)に学び、18歳で帰郷してから父と共にホテル業に専念した。
これより先、善一郎は市内星の宿(現在の営業地)の三角ホテルを買収修理して日光金谷ホテルと命名、開業していた(明治25年)。
その後真一はホテル経営の傍ら日光電気軌道の設立に父と共に参画した他、自動車会社を始め数多くの会社を創立し、日光観光協会長を始め多数の役職を歴任して日光の観光面に大きな功績を残した。日光市名誉市民。
尚、真一の弟正蔵は箱根宮の下の富士屋ホテル山口家を継ぎ、兄弟して我国のホテル創生期に活躍した。