矢板武 (ヤイタタケシ)
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詳細
住所 |
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1849~1922年(嘉永2~大正11) 開拓功労者・実業家。塩谷郡矢板村(現・矢板市)の名主の家に生まれ,僅か20歳で名主,26歳で戸長,30歳で県会議員等の要職についた。性格は温和で貴公子のような風貌だったと言うが,名門の出身に加えて抜群の指導力があったようである。矢板の業績の中で特に知られるのは,那須野ヶ原の開拓である。1876年(明治9)以降,印南丈作と共に那珂川から鬼怒川に至る運河計画に力を注ぎ,1880年には印南らと共に那須開墾社を組織し,那須野ヶ原の開拓事業に当たった。印南亡き後は那須開墾社の二代目社長となった。また印南と共に那須野ヶ原の用水開削に意を注ぎ,1885年には国費10万円を要した那須疏水の開削を実現させた。那須開墾社の解散(1893年)以後は銀行経営に主眼をおき,下野銀行・矢板銀行等を創立し,県内有数の実業家として活躍した。1908年(明治41)には「那須開墾誌」を著している。